自分らしい人生の創り方

どうすれば幸せな人生を送れるのか?

秋分の日の思想

「自分は自分でしかない
  それ以上でも、それ以下でもない」


みなさん、お盆に引き続き
連休の連発はいかがだったでしょうか?

固定給の方ならいいんですが
日給月給の方は、不満勃発ですね・・・。

しかも景気上昇が全く感じられず
賃金据え置きで、物価がジワジワ上昇していますし
そこに来ての連休連発のダブルパンチは痛いです。

 


さて話は変わり
先日の秋分の日、僕は長野県松代にある

「象山地下壕」へ行ってきました。
僕は昭和50年生まれなので、戦争については知識程度です。

 

僕はなぜ「象山地下壕」に行きたくなったのか?


ただ、昔の人が

「趣味で、すごい延長の穴を掘りましたよ!」

とかだと興味もわかないわけですが
第二次世界大戦大本営

各省庁の移転が目的だと知り
実際に見たいと思ったわけです。

 

入口で貰ったパンフレットを見ると

総延長は6km弱

見学できる区間は500m程です。

500mとはいえ、実際に見ながら歩いてみると

なかなかの距離です。

 

さて中はどんな感じかというと

見学コースは照明がありますが、基本的に薄暗く

全てが岩盤で覆われているためか

とてもヒンヤリとしていて所々で水滴が確認できます。

 

この地下壕は、削岩機とダイナマイトによる発破で

作られていて、随所に削岩機の痕が残っていました。

 

とりあえず人はいないけれど

見学できる所まで行き

突き当りを往復して出てきたので
実際1km見学したって事になります(笑)

 

途中、すれ違った団体様に
奥から人が歩いてくるとは思っていなかったらしく
「ひゃ!!なんかいる!!」とか言われ・・・

「人間ですが?」と心の中で叫び、出口に向かいました。
※出口と入口は一緒です。



入る時から気にはなっていたんですが
入口に慰霊碑が立ってます。

この地下壕は日本人だけで作られたものではないようで
そして犠牲者も出ているから、この慰霊碑があるわけで。
なんとも複雑な心持でそれを眺めながら

地下壕を後にしました。

 

今回、こういう場所に行ってみて改めて思う事は

どこでもそうだと思うんですが
私利私欲が絡み、それが国家間であれば

最悪は武力行使になる恐れもあるわけで。

当時はまさに、勝つか負けるか必死だったと思いますが

そういう状況を否定するわけではなく

今平和である所に生存している幸せを、ありがたく思うんです。

 

その背景には、こういう時代、戦争もあったということを、片隅でも理解する事は大切だと思います。

 

戦争や争いだけを考えると
お金や権力なんて
ある意味自己満足の世界かもしれませんよね。

それで自分が生かされているとしたら
お金とか名声の為に生れてきたのか?ってなってしまう。


いずれ死ぬことはわかっている。
そう、これは僕のみならず、みなさんも。
人間のみならず、生物、植物にしてもそう。

だとしたら生まれてこなくてもいいのにね。

しかもこれだけ進化しているんだから
子孫繁栄というより、高度な知識を持つ脳は
細胞分裂して複製をつくればいいだけ。

でもそうはいかないらしい・・・。
そうなっていないから、としかいいようがないんですけどね(笑)。

死が確定しているのにも関わらず
生れてくるのは、やっぱり理由があるのかな・・?
そう考えるのが自然ですよね?

 

 

日本人は宗教とどう付き合っていくべきか?

幼少時代の日曜日というと
2,3人で家を訪ねてくる人達がいたんですが
その正体は、宗教関係の方々です。

そんなわけもわからない人達の話しは聞きたくないし
「特殊な人達」だと、どこか軽蔑し、追い払う事が当たり前でした。
子供のくせに、「そういうの興味ないんで」とか言ってましたねぇ。

同級生でそんな宗教へ入信している子もいましたけど
だからといって特別変わっているわけではないし
身近に存在することで、布教で訪れる人達と妙な線引きもできていたんだと思います。


日本はお寺や神社が近所にいくつもあり
祭りがあれば、そこで出向き、遊び、そうしてより身近になっていく。
お寺はこういう場所だよ?
神社はこういう場所だよ?って少しずつ教えてもらいながら。
中には神様や仏様がいて
誰かが無くなったらこっち、困りごとがあればこっちだとか。

いまでも神社は好きです。今もたまに足を運びますが
自然と一体化している全体像、そういうのがいいんですよね・・・。

樹齢何年の杉の大木に感動したり、鳥の声だったり。

 

これは日本だけではなく、諸外国の宗教も勿論そうだと思いますけど
幼少の頃から身近なモノであれば、それが当然で、あって当たり前。
無くなって困るとすれば、生活と密接に関わりある宗教でしょうね。

 

さて、皆さんは宗教に何を見ますか?


死ぬまでの幸福?

地獄を回避する手段?

義理で・・・なんて人はいないと思うので。それこそお人好しがいい所ですけど。

なんのために自分に必要かは、一度考えてみる必要がありますね。


宗教も一種のコミュニティーであるから
疎外感から入信してしまう事だってあり
そのコミュニティーで信仰対象を同じものにすれば
そこでの価値観は同一になり、周りの知らない人でさえ仲間になってしまう。

今まで周囲に仲間がいなかったのに対して
このコミュニティーへ参加したことによって仲間ができ
色んな会話のやり取りが行われるし、行事の参加にも誘われる。

疎外感を感じていた人にとっては、これはまさに幸せと言えます。


だから個々が宗教に何を見るか?

 

なぜ今日は宗教をテーマにしたかというと
最近の宗教の布教活動が、
一体どういう意味で行われているのか?
入信したらどうなるのか?
新興宗教だと尚更わからない。


そういった中で、宗教に興味を持っている場合
易々と入信してはいけない。


自分が宗教に何を求めているのか?
入信することで、達成できることがあるのか?
その辺の問いかけが済んだ後に、宗教について考えてみればよいと思う。


さて、じゃ僕はどうなんだい?って声が聞こえてきそうです(笑)

僕は自分の人生を、宗教に任せたりはしません。
お墓参りはします。神社で手を合わせ、お賽銭も入れます。
でも迷信とか厄とか信じません。
厄払いしてませんし、厄年に病気もケガもしなかったし。

でも自分が求めていることや、信じている事が
各々の宗教にあれば、それをかいつまんで人生の一部にしていますけど。


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