自慢話はうんざり?回避できるか?
ここ数日ご無沙汰ですが、いきつけの居酒屋さんが近所にあります。
たまたま居酒屋さんの近くに引っ越したことがきかっけで、だいたい週一のペースで
1人で呑みに出かけます。
カウンター席の多さも魅力ですが、お客様の多い日でも店内は騒がしくありません。
お勧めは、日替わりのお刺身。だいたい瓶ビール一本とお刺身を頂いて、気持ちもお腹も満足で帰宅
します。
長野市にこられた際は、お立ち寄りください。
場所は長野市平林にある、「やきとり鉾八」さんです。
ひょっとしたら僕にあえるかもしれません(笑)。
みなさん週末はどう過ごされましたか?
自己改革コンサルタントの小松です。
上司と一杯、お付き合いで呑みにいっても、自慢話ばっかりで、嫌になることもありますよね。
居酒屋に限らず職場でも、こういった自慢話がメインの人は必ずいます。
僕は返事をしながら自慢話を聞きますけど、腹の中では「だから何?」「またか?」何て事を
思ってます(笑)。
誰だって人の自慢話ばかり聞いていたら飽きますよね、しかもそういう人に限って目立ちたがり屋で、そういう事をしなければ自己を評価されない、自分の存在を表現できないと思っているので、ある意味可哀想な人でもあります。
実際、過去にそうやって評価を得た体験があって、それしか手段として浮かんでこないんでしょう。
自慢話を聞いている時、あっけらかんとした表情や返事がなければ
本人も話を辞めるでしょうけど、人付き合いは大切ですからね
その辺はうまく聞いてあげて、「評価してくれる人」ではなく「理解してくれる人」にならなければなりません。
この人は評価してくれないんだと思えば、自慢話は少しずつ収まって話の対象は変わってくるはずです。
僕の実体験だと、自慢話から愚痴、相談と変化していきます。
これは徐々に信頼が構築されていくからだと考えます。
信頼関係が築かれていれば、特別評価して欲しいと考えないからかもしれませんね。
おおかた上司と部下の関係であれば、信頼関係が築かれても相談まではいかないかもしれませんが、自慢話がなくなればオッケーですね(笑)。
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リスクを把握してアクションを選択する道もある
「リスク」
一度ならず、頻繁に聞くこの言葉。
日本人はネガティブなイメージでとらえがちですが、実際はどんな意味を持っているのでしょう?
日常会話においてのリスクとは、「危険」と捉えられる事も少なくありませんが
実際はどうなんでしょうか。
日本語では「危険」などと訳されることもあるが、「危険」では「可能性」という概念が十分に表されていない。上記OXFORD英英辞典の定義のとおり、リスクは「悪い事象」ではなく「悪い事象が起こる可能性」であるから、悪い事象の「重大性」と「可能性」のマトリックスによって「リスク」の大小が決定づけられることとなる。語源であるラテン語の「risicare」は「(悪い事象が起こる可能性を覚悟の上で)勇気をもって試みる」ことを意味する。 引用ーーWikipedia「リスク」
この他、「良い事が起こる可能性」もリスクの定義に含むべきだとの記事もあることから実際にアクションを起こした後に、他の事象が起こる可能性を示しているとも言えます。
自己改革においてもこのリスクは存在しますが、「良い事象が起こる可能性」を秘めています。しかしそれは、正しい選択をした場合に限りますので、選択には注意をしなければなりません。
自己改革におけるリスクとは「時間」、「お金」、「健康」の三つを主要軸と考え
この中で「健康」は、リスクとして選択しない事をお話ししています。
自己改革の実践に関わらず何か行動をするときには、「時間」というリスクは必ずついてまわります。
また市場経済の中で生活している限り、「お金」というリスクもついてまわってきます。
当然、この二つのリスクを最小限にし、効率を最大限にすることが望ましいのですが
10人が同じアクションをしても、10人の結果とリスクは違ったものになってきます。
それは、僕たちが個々違った個体であるからとも言え、自己改革の本質とも言えます。
個々が違うという事は、すなわち「人生の目的」や「考え方」がそれぞれであり、同じ行動をしたとしても、手順が異なっていたり、使用する時間、使用するお金も変わってくるので
その後のリスクを考えた時にも、リスクは違ったものになってきます。
リスクを考えた時、「健康」というリスクもあるというお話しをしましたが
何をするにしても、自身の身体がないと何もできないのですから、そのことを考慮すれば
「健康」をわざわざ害するアクションを取る選択は、意味のない選択だと理解できると思います。
アクションをする時には、それに伴う「リスク」を考えた上での選択がとても重要であり、
そのなかで「健康」を損なうリスクがあるのであれば、その選択肢は捨て、「時間」と「お金」の
リスクが最小限で効率的な選択をしていく事が望ましいのではないでしょうか?
僕が人を信じない理由
「信じられる人は1人いればよい」
自己改革コンサルタント
小松です。
人付き合いが多くなればなるほど
その人の特徴や癖、言動の信憑性が見えてきます。
社会人となり、会社勤めの方々にとっては
人付き合いほどストレスの溜まる事はないかもしれません。
そこで、ストレスをできるだけ少なくするために
どう人付き合いをしていけばよいのかが
1つのポイントになってきます。
ある程度の社会的地位を持つ人であれば
自分よりも、付き合う人達との約束というのを
とりわけ大切にしているようです。
世間一般で見ても
約束=信用で成り立っているわけですから、納得もいきますね。
金融機関にしても、融資を受けて約束通り返済してくれるのかが、その後の審査にも影響を及ぼしてくるので
この約束を守るということは、私達個人の信用の度合いを測る基準でもあるということになりますね。
金融機関ではないにしても、信用は大切です。
個人間においても大切な要素であり、私達の人格形成の一部、又は他人からの評価の一部となっています。
私達は、この信用が大切だと思うからこそ
他人との隔たりや、ストレスが生まれ
ゆえに距離を取ろうと考えたり、あるいは接触を避けようとします。
一度や二度の約束が果たされなかった場合は
その人個人の理由も考慮する必要がありますが
頻繁であれば、もはや信用することは辞めるべきです。
こういった場合のストレスを回避する手段として
「人の話しは半分まで」と、私は常に念頭に置いています。
その人が約束をしたとしても、約束とみなさず
通常の会話の一部なんだと割り切って、信用のおける人付き合いに移行します。
約束を守らない人は、更に言い訳もしてくるので
わかりやすいのではないでしょうか?
その人がダメというわけではなく
自分がストレスを抱えてしまうのであれば
話を半分だけ聞いて、半分は流し
物理的な距離を置く事がいいのではないでしょうか