自分らしい人生の創り方

どうすれば幸せな人生を送れるのか?

日本人は宗教とどう付き合っていくべきか?

幼少時代の日曜日というと
2,3人で家を訪ねてくる人達がいたんですが
その正体は、宗教関係の方々です。

そんなわけもわからない人達の話しは聞きたくないし
「特殊な人達」だと、どこか軽蔑し、追い払う事が当たり前でした。
子供のくせに、「そういうの興味ないんで」とか言ってましたねぇ。

同級生でそんな宗教へ入信している子もいましたけど
だからといって特別変わっているわけではないし
身近に存在することで、布教で訪れる人達と妙な線引きもできていたんだと思います。


日本はお寺や神社が近所にいくつもあり
祭りがあれば、そこで出向き、遊び、そうしてより身近になっていく。
お寺はこういう場所だよ?
神社はこういう場所だよ?って少しずつ教えてもらいながら。
中には神様や仏様がいて
誰かが無くなったらこっち、困りごとがあればこっちだとか。

いまでも神社は好きです。今もたまに足を運びますが
自然と一体化している全体像、そういうのがいいんですよね・・・。

樹齢何年の杉の大木に感動したり、鳥の声だったり。

 

これは日本だけではなく、諸外国の宗教も勿論そうだと思いますけど
幼少の頃から身近なモノであれば、それが当然で、あって当たり前。
無くなって困るとすれば、生活と密接に関わりある宗教でしょうね。

 

さて、皆さんは宗教に何を見ますか?


死ぬまでの幸福?

地獄を回避する手段?

義理で・・・なんて人はいないと思うので。それこそお人好しがいい所ですけど。

なんのために自分に必要かは、一度考えてみる必要がありますね。


宗教も一種のコミュニティーであるから
疎外感から入信してしまう事だってあり
そのコミュニティーで信仰対象を同じものにすれば
そこでの価値観は同一になり、周りの知らない人でさえ仲間になってしまう。

今まで周囲に仲間がいなかったのに対して
このコミュニティーへ参加したことによって仲間ができ
色んな会話のやり取りが行われるし、行事の参加にも誘われる。

疎外感を感じていた人にとっては、これはまさに幸せと言えます。


だから個々が宗教に何を見るか?

 

なぜ今日は宗教をテーマにしたかというと
最近の宗教の布教活動が、
一体どういう意味で行われているのか?
入信したらどうなるのか?
新興宗教だと尚更わからない。


そういった中で、宗教に興味を持っている場合
易々と入信してはいけない。


自分が宗教に何を求めているのか?
入信することで、達成できることがあるのか?
その辺の問いかけが済んだ後に、宗教について考えてみればよいと思う。


さて、じゃ僕はどうなんだい?って声が聞こえてきそうです(笑)

僕は自分の人生を、宗教に任せたりはしません。
お墓参りはします。神社で手を合わせ、お賽銭も入れます。
でも迷信とか厄とか信じません。
厄払いしてませんし、厄年に病気もケガもしなかったし。

でも自分が求めていることや、信じている事が
各々の宗教にあれば、それをかいつまんで人生の一部にしていますけど。


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自慢話はうんざり?回避できるか?

ここ数日ご無沙汰ですが、いきつけの居酒屋さんが近所にあります。
たまたま居酒屋さんの近くに引っ越したことがきかっけで、だいたい週一のペースで
1人で呑みに出かけます。

カウンター席の多さも魅力ですが、お客様の多い日でも店内は騒がしくありません。
お勧めは、日替わりのお刺身。だいたい瓶ビール一本とお刺身を頂いて、気持ちもお腹も満足で帰宅
します。
長野市にこられた際は、お立ち寄りください。
場所は長野市平林にある、「やきとり鉾八」さんです。
ひょっとしたら僕にあえるかもしれません(笑)。


みなさん週末はどう過ごされましたか?
自己改革コンサルタントの小松です。

上司と一杯、お付き合いで呑みにいっても、自慢話ばっかりで、嫌になることもありますよね。
居酒屋に限らず職場でも、こういった自慢話がメインの人は必ずいます。
僕は返事をしながら自慢話を聞きますけど、腹の中では「だから何?」「またか?」何て事を
思ってます(笑)。
誰だって人の自慢話ばかり聞いていたら飽きますよね、しかもそういう人に限って目立ちたがり屋で、そういう事をしなければ自己を評価されない、自分の存在を表現できないと思っているので、ある意味可哀想な人でもあります。
実際、過去にそうやって評価を得た体験があって、それしか手段として浮かんでこないんでしょう。

自慢話を聞いている時、あっけらかんとした表情や返事がなければ
本人も話を辞めるでしょうけど、人付き合いは大切ですからね
その辺はうまく聞いてあげて、「評価してくれる人」ではなく「理解してくれる人」にならなければなりません。
この人は評価してくれないんだと思えば、自慢話は少しずつ収まって話の対象は変わってくるはずです。

僕の実体験だと、自慢話から愚痴、相談と変化していきます。
これは徐々に信頼が構築されていくからだと考えます。
信頼関係が築かれていれば、特別評価して欲しいと考えないからかもしれませんね。
おおかた上司と部下の関係であれば、信頼関係が築かれても相談まではいかないかもしれませんが、自慢話がなくなればオッケーですね(笑)。