自分らしい人生の創り方

どうすれば幸せな人生を送れるのか?

お金の話し①

お金の話し①
さて今回は、お金とは何か?
といった本質について考えてみたいと思います。

ご存知の通りお金には
以下の3つの機能があるとされています。

①保存できる
②欲しいモノと交換できる
③尺度(これはいくらなのかを計る単位)

これらの機能があるため
お金が便利であるといわれるわけですが
欲望のままに、欲しいモノと交換していると
お金は残りません(笑)

お金は
「手に入れるより、使う方が難しい」
なんてこともいわれますから
欲望に惑わされず、なんの為に使うのかが明確になっている人ほど、お金の使い方が上手いといえますね。

さて
このお金の機能の3番目
「尺度」について考えた事があるでしょうか?

そもそもこれって
日本銀行券である紙幣の価値や尺度って
国への信用があり
皆さんが認めているからこそ
福沢諭吉の印刷されている、日本銀行券の一万円札一枚は
一万円の価値を皆さんが認めているモノと  交換ができるわけですね。

仮想通貨なんかもそうです。

それ自体、本来1ビットコインの作成に費やした時給程度のモノからはじまるわけですが
誰かが

ビットコイン1枚は一億円の価値がある」

といったとすると…
それを投資家が信用して投資するかもしれない
そんな人間心理が働き
価値を認める市場ができあがる。

いわば世界どこにいっても
お金≒信用で出来上がっているということ。

これは個人においても
金融機関で借入する場合などがわかりやすい。
どれだけの規模の企業で働いているかとか
年収はいくらだとか。

だから、仮に信用が無くなれば
お金は動かない。
動かないということは、それは
マクロでは国の価値がなくなり
ミクロでは、個人の価値が無くなることだと思う。

価値がなければ
どれだけ便利な紙幣を保存していても
尺度としての機能を一旦失うと
全てのお金の機能は停止してしまうということ。

だから僕たちは
政治云々ではなく、常に情勢を見ながら
お金をどう扱うのかを考えていかないと
いけないのかな…

第一回目のお金の話し
如何でしたか?

例えば大袈裟ですが
老後のために貯蓄していても
一旦国の信用がなくなれば
どこかの国のように紙くず同然もありえる。

物価が上がれば
将来的なお金の価値も下がる。

だから本当に将来が心配なら
その金額は幾らなのか算出して
それ以外は使う方がいいのかなっていうのが
僕なんですが…貯蓄のある方は。

老後といっても
現在の60歳、70歳の方をみていて思うのは
すごく健康的だということ。
まだまだ、肉体労働は無理だとしても
稼ぐ手段はあるかもしれません。

それをあまり考えず
年金収入だけを考えてしまうので
余計に心配は増えていくばかり。

ということで、
第2回目は「人生とお金」について
近々お話をさせていただきます。

今後の人生と、お金との付き合い方

時代の変化は早いものです。

現代はとても便利な世の中になった一方で

平均寿命も延び、将来の生き方や、お金の「不安」や「心配」が増加し

そういった意味で、変化に対応できない人達にとっては

逆に、生き辛い世の中になったと言えるのかもしれませんね。

 

収入もなかなか増加せず、はたして老後の生活は安泰だろうか?

60代も健康な体で仕事をしていけるのだろうか?

 

多くの人が、こういった不安をお持ちではないかと思います。

 

老後と言えば「年金」がパッと浮かんでくるかと思いますが

公的年金でさえ、きちんと40年保険料を納付したとしても、年額80万円にも満たず

月額でいえば、6万円から7万円の収入があるだけです。

そして、その年金の財源とされる保険料を支払う年代(若年層)の人口が少なければ

年金額が減少したり、受給年齢が上がったりも考えられます。

 

考えれば考えるほど、不安はつきないのですが

今後の人生で重要な事は、年金に頼らない人生設計だと思います。

 

年金だけに焦点をあててしまうと、将来の生活費の減額分を

今から貯めていかないと・・という考えだけになってしまいますが

収入を継続して確保するためには・・と考えると

今だ見えていなかったものが、結構見えてきます。

 

たとえば、収入源を複数確保していくことだったり

金利の低い貯蓄から、元本がある程度確保できる安全性の高い投資をしていく等。

 

これは、人生を「お金」という軸で見ているので、こういったお話になりますが

お金だけを考えると、人間はお金を稼ぐために生まれてきたの?なんて事にもなってしまいますね。

たしかに生きていく上で、この「お金」は

切っても切り離せない身近な存在でもあるので、人生を考える上では

お金抜きでお話はできませんけれど・・。

 

しかし

お金を追及していくと、その先にあるものって何でしょう?

 

それは「自分自身の感情が満足する体験」だと言えます。

 

見栄えのいい新車を買えば、ワクワクしますよね?

その新車でどこへドライブや旅行に行きますか?

助手席には誰を乗せ・・・。

一見ただモノを所有するだけのように思えますが

こういった将来を創造して感情的にワクワク、ドキドキするから

私達は買いたい!!と考えるのです。

そして、それにはそのモノの対価となる媒介

 

「お金」が必要だというだけの話です。

 

マイホームにしても、趣味のモノにしても

自分が感情的に満足するので、それを欲しがり

それを入手するために、お金が必要なだけです。

 

じゃ、生活上必要となるモノにもお金がかかりますよね?って声もありますが

それは生きていくために、この身体を健全に維持していくのに必要です。

だから、人生とお金を考えた時って

この維持費と、自身の感情が満足することにお金を使っているかというのも

ポイントになってきますよね。

 

ほとんどの人は、毎月の収入は決まっていますから

このお金を日々の中で多く残そうとするのであれば

維持費と感情がワクワクする事以外で支出していないか?を考えていかないといけませんね。

 

でも

デパートでの衝動買いだってある意味感情のワクワクですが

これが周りの人に流されていたり、ストレス発散だったり

一時の満足感であれば、それは無駄な支出だと言えます。

 

よく、一旦立ち止まって、本当に必要かどうかを考えて買い物をしましょうよ

って言うのは、まさにこういう事なんだと思います。

 

こういう無駄な支出がなくなれば

今までの収入だけでも余裕が出てくるのがわかり、老後に本当に必要な金額っていうのも、今までより明確になってきます。

 

そして

余裕ができた資金を安全性の高い金融商品で長期運用し

少しずつ資産形成をしていくのも一つの方法です。

 

 

秋分の日の思想

「自分は自分でしかない
  それ以上でも、それ以下でもない」


みなさん、お盆に引き続き
連休の連発はいかがだったでしょうか?

固定給の方ならいいんですが
日給月給の方は、不満勃発ですね・・・。

しかも景気上昇が全く感じられず
賃金据え置きで、物価がジワジワ上昇していますし
そこに来ての連休連発のダブルパンチは痛いです。

 


さて話は変わり
先日の秋分の日、僕は長野県松代にある

「象山地下壕」へ行ってきました。
僕は昭和50年生まれなので、戦争については知識程度です。

 

僕はなぜ「象山地下壕」に行きたくなったのか?


ただ、昔の人が

「趣味で、すごい延長の穴を掘りましたよ!」

とかだと興味もわかないわけですが
第二次世界大戦大本営

各省庁の移転が目的だと知り
実際に見たいと思ったわけです。

 

入口で貰ったパンフレットを見ると

総延長は6km弱

見学できる区間は500m程です。

500mとはいえ、実際に見ながら歩いてみると

なかなかの距離です。

 

さて中はどんな感じかというと

見学コースは照明がありますが、基本的に薄暗く

全てが岩盤で覆われているためか

とてもヒンヤリとしていて所々で水滴が確認できます。

 

この地下壕は、削岩機とダイナマイトによる発破で

作られていて、随所に削岩機の痕が残っていました。

 

とりあえず人はいないけれど

見学できる所まで行き

突き当りを往復して出てきたので
実際1km見学したって事になります(笑)

 

途中、すれ違った団体様に
奥から人が歩いてくるとは思っていなかったらしく
「ひゃ!!なんかいる!!」とか言われ・・・

「人間ですが?」と心の中で叫び、出口に向かいました。
※出口と入口は一緒です。



入る時から気にはなっていたんですが
入口に慰霊碑が立ってます。

この地下壕は日本人だけで作られたものではないようで
そして犠牲者も出ているから、この慰霊碑があるわけで。
なんとも複雑な心持でそれを眺めながら

地下壕を後にしました。

 

今回、こういう場所に行ってみて改めて思う事は

どこでもそうだと思うんですが
私利私欲が絡み、それが国家間であれば

最悪は武力行使になる恐れもあるわけで。

当時はまさに、勝つか負けるか必死だったと思いますが

そういう状況を否定するわけではなく

今平和である所に生存している幸せを、ありがたく思うんです。

 

その背景には、こういう時代、戦争もあったということを、片隅でも理解する事は大切だと思います。

 

戦争や争いだけを考えると
お金や権力なんて
ある意味自己満足の世界かもしれませんよね。

それで自分が生かされているとしたら
お金とか名声の為に生れてきたのか?ってなってしまう。


いずれ死ぬことはわかっている。
そう、これは僕のみならず、みなさんも。
人間のみならず、生物、植物にしてもそう。

だとしたら生まれてこなくてもいいのにね。

しかもこれだけ進化しているんだから
子孫繁栄というより、高度な知識を持つ脳は
細胞分裂して複製をつくればいいだけ。

でもそうはいかないらしい・・・。
そうなっていないから、としかいいようがないんですけどね(笑)。

死が確定しているのにも関わらず
生れてくるのは、やっぱり理由があるのかな・・?
そう考えるのが自然ですよね?